最近は、火曜の朝にアルゼンチン直通スカイプでコーチングを受けています!
今日がまだ4回目です。
色々と呼び方はあると思いますが、コーチと色々と会話しながら自分のやりたい事を明確にしたり、自分の感情と向き合ったりするわけですが、まだ僕自身あまりよく分かっていないのでこれについてはまだあまり書く事はありません。
ひとつ言えるのは、いわゆる過去のトラウマを見つけ出したり克服して新しい自分になる的なやつではなく、現在と未来にフォーカスしたセッションだという事です。
今後が楽しみです^_^
さて、前々から疑問に思っている事がありまして。
それは何なのかというと、、、
「即興で踊るって、つまりどういう事?」
という疑問。
僕が専門にしているアルゼンチンタンゴはソーシャルなダンスであり、即興(アドリブ)で最初から最後まで踊る事が原則です。
しかし音楽にしろダンスにしろ普通「アドリブ」というと、かなり習熟した後で挑戦をし始めるイメージが強いです。
ピアノを習い始めていきなりアドリブ演奏はしません。
基本的な技術練習と共に、楽譜通りに弾く練習をするはずです。
僕がヒップホップやジャズダンスを習っていた時も、基礎とベーシックステップを練習してからその日の振付を覚えて繰り返し身体に入れる。
上級者は振付が始まる前のイントロなどにアドリブを入れて遊んだりしていましたが、初心者はもちろん振付を追うのに精一杯です。
通っていたダンススクールの発表会にヒップホップのナンバーで出演した時、僕の先生がソロを踊る場面があったのですが、練習でも本番でも毎回違う踊りをしているのが疑問で、聞いてみると「あのソロは何も決めてない。アドリブだよ」と言われて「うげーーー!!そんな事ができるんだ、、、、プロってすごいなぁ、、」と衝撃を受けました。
後日その発表会のDVDを母に見せながら「この先生のソロ!!これ全部アドリブなんだって!すごくない?」と興奮していると
「私はタンゴを踊る時、曲の最初から最後までアドリブで踊るのよ」
と言われて
「え、、、そうなの、、、?、、、あれ全部アドリブなの、、、?」
と動揺したのをよく覚えています。
それくらいアドリブというものは技術的にだけでなく、心理的なハードルも高いんです。
だから初めてタンゴを習いに教室に来た人が、最初から「全部リード&フォローのアドリブで1曲踊りきる」のが目標なんだと宣告されるのって、かなりキツいなー、と思ったりするわけです。
まぁソーシャルダンスである以上それは仕方のない事なのですが、それにしてもタンゴダンサーやミロンゲーロをはじめタンゴ業界の多くの人達は「本当の即興」である事にものすごくこだわりを持っているように思います。
例えばとあるプロのカップルがミロンガでパフォーマンスしたりした時に「あれは即興のフリしてるけど、振付だな」などと批判して満足気にしてるおじさんはブエノス・アイレスで山程見ましたし、某超有名ダンサー(ひと昔前の。)とミロンガでご一緒する機会があった時に「誰に習ってるの?」と聞かれて「○○です。」と答えると「君は本当の即興を踊れる先生に習わなきゃいけないよ」とか頼んでもない失礼な助言をくれたりするわけです。
お陰様で僕もブエノスアイレスに留学をしてからずっと最近まで「本当の即興」への異常なこだわりを植え付けられていたわけですけど、ある時思ったんですね。
「本当の即興って何だよ!?!?」と。
人それぞれ違う意味でその言葉を使っているであろう事は百も承知ですけど、僕の認識では
「振付や事前の打ち合わせ無しで踊り、何なら曲もその場で選んだりする事」
という事だと思います。
でも例え打ち合わせ無しで踊ったとしても、今までたくさん練習してきたカップルなら約束組手のように踊れるし、そもそもカミナンド、オーチョ、サカーダ、パラーダ、、、、と名前の付いたステップがたくさんあって、その組み合わせを変えているに過ぎないでは無いですか。
もちろんその組み合わせ方にセンスがあったり、音楽の使い方が上手かったりすれば賞賛に値しますが、ほとんどの人はプロダンサーも含めてただ自分の体に染み付いた得意なステップやルーティーンを羅列してるだけなんです。
極論を言ってしまえばある程度の長い経験があれば誰でもできます。
無から何かを創造してる訳ではないのに、「俺のは完全に即興だぜ」ってドヤ顔されても、苦笑いしか出ません。
人様にお見せするパフォーマンスレベルで考えるなら即興だろうと振付だろうと「クオリティ」だけが大事です。
ミロンガで踊るなら「目の前の相手と気持ちよく楽しく踊れる事」だけが大事です。
昔の僕のように「本当の即興を極めなきゃ」という強迫観念に囚われている方は一度見つめ直してみる事をオススメします。
視界がスッキリして、きっとタンゴがもっと楽しくなりますよ!!
追伸 リード&フォローを軽視している意図はありません。念のため。
それについてはまたの機会に。